一度は行ったのですが、時間切れで入れなかったSaint Francis Churchにもう一度行ってきました。
目的は人骨堂に入る為。この写真を貼るかは迷ったのですが、、、ペタリです。
死生観といいましょうか、仏教とキリスト教、まるで異なるようで実は同じなのかもしれません。
これらの人骨はその昔ペストや戦争で亡くなられた方のものということです。
そもそも、何故人骨が柱とかに埋め込まれているのか・・・キリスト教の教えからきているそうです。
常に『死』はやってくる。死を忘れずに日々生きていきなさい。ということらしいです。
これは仏教やキリスト教に限らず、哲学としての命題ともなってきました。かつてソクラテスやプラトンが
いかに『善く生きる』かを考えていたように。
本来は日本にもそのような死生観がありましたが薄れてきたようにも感じます。
そういえば昔あったアニメ『一休さん』の最終回を覚えているでしょうか?
正月で浮かれる人々の前にドクロを杖に挿した一休禅師がお経を唱えながら歩いていき、縁起が悪いと
怒った町民に石を投げられるような話しだったと記憶してます。
子供の頃にこの意味が分かりませんでしたが、この時の一休さんの行動こそが命の有限を知り、常に『善く生きる』を
実践しなくてはならないという事だったのでしょうね。
昔のアニメは奥が深いです。
今の(表現を含めて)規制ばかりのテレビの中身の薄いこと・・・
そんな世界を眺めつつ、今年は密度の濃い生活をしようと考えている私です。。。
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